ウマ娘 シンデレラグレイ の北原穣とは何者なのか

 ヤングジャンプで連載中のウマ娘コミカライズ『ウマ娘 シンデレラグレイ』はなかなかに盛り上がっているようですね。

この漫画はオグリキャップを主人公としています。

ウマ娘におけるオグリキャップは、アニメ以降どうにも”大食いのギャグ要員”として扱われている節があり、個人的に地方馬に思い入れのある私としては不満に思っていたところで。

まあ出番があるだけ文句は言えないのでしょうけど、そうは言ったってねえというところであったので、シンデレラグレイのオグリの描き方とそれを通してオグリを見直してもらえることはとても歓迎の出来ること。

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 さて表題の件。

ウマ娘トレセン学園に所属し、そこでトレーナーと呼ばれる人からスカウトをされ、彼らの指導を受けながらレースに出走する。

オグリキャップの現在のトレーナーが表題の”北原穣”となります。

どうにもシンデレラグレイの感想などを見ていると、この北原穣、元騎手の安藤勝己(通称アンカツ)がモデルと見られているようですね。

……?いやいやいや そりゃなんでだ? 

個人的にこのことに違和感を感じているわけです。

とはいえ、なぜ北原=アンカツと見られているのか、これを知らないといけない。話はそれから。

 

まず整理すべきこととして、トレーナーって騎手がモデルなの?ということ。

結論。わかんない。

公式から明言されていないもんはわからない。

ハイ次。

 

北原って笠松においてどういうポジションのトレーナーなの?

これは1話を見ればなんとなくわかります。

柴崎から敬語を使われていることから中堅程度にはキャリアがあり、特待生のフジマサマーチを見て「まあうちには来ないだろうし」と言うくらいなのでトップトレーナーではなさそう。

2話では東海ダービーを「俺の夢」と語るのでダービーはとったことが無さそう。

 

さて、北原のポジションを考えた時、アンカツとどの程度被るのでしょう。

アンカツは1976年デビューで1978年にリーディングを獲得、1985年には東海ダービージョッキーとなった当地どころか地方全体でも1,2を争うトップジョッキー。

さらに、1980年には中央勝利をしている、となると、北原ととんと印象が合わないわけです。

 

 

なんで北原がアンカツであると言われはじめたのか。

あくまでも想像でしかないけれど、「読者のストーリーへの希望的観測」なのでしょう。

オグリは中央に移籍、それを追う様に北原も中央のトレーナー資格を取得し、中央でオグリと同じG1をとるサクセスストーリー… まあそんなところでしょうね。

それを託すにはウマ娘でもわかりやすいダイワスカーレットの主戦、安藤勝己がいるじゃないか、と。

 

多少地方競馬に自信のある方は思い出してみてほしいんです。

オグリキャップ笠松時代の主戦騎手は誰でしょうか。

せーので言ったら多分割れますよ。安藤勝己か、高橋一成か。

オグリキャップは元々主戦高橋一成、次点と調教を青木達彦で走っていたんです。

ところが高橋が研修で離脱、青木が骨折で離脱となった秋風ジュニアでアンカツが急遽乗ることになり、そのまま継戦することになった。

 

と考えると、どうにもやっぱりアンカツではないと思うんですよ。

アンカツはオグリに走りを教えてませんから。教えたのは青木でしょう、そりゃあ。

 

じゃああんたは北原って誰がモデルだと思ってるんだよ!となりそうですが、まあこれはもう条件に合う人いますから。

はい、笠松時代のオグリキャップの馬主、小栗孝一その人ですよ。

オグリの母ホワイトナルビーの現役時代の所有者、その子をすべて購入し笠松で走らせていた。

ダンシングキャップを配合すると言って反対されても押し切ったのは孝一で、調教師の鷲見と念願の東海ダービーを目指せると喜んだのも孝一で、中央移籍を打診され購買の依頼をことごとく断ったのも孝一で、最後に馬の名誉のためにと売却したのも孝一です。

オグリキャップの売却以後の1989年に中央の馬主資格を取得し、のちにオグリキャップの半妹オグリローマン桜花賞を勝っている。

もう条件ドンピシャですよ。

え?馬主が走りを教えるのかって?ハハハまさかそんなわけないでしょう。

そこは鷲見昌勇調教師の部分ですよ。

オグリキャップの沈み込む走り方の癖や柔軟性、バネについては鷲見調教師は何度も取材などで自分が気付いたと証言していますから。

あ、オグリローマン笠松時代の調教師って鷲見昌勇ですよ。これも条件に合う。

 

要するに、北原穣ってのは小栗孝一+鷲見昌勇、これをモデルにした人物と考える方がまだ自然じゃないのかな?って思うのです。

 

 

まあこんだけ長々考えてみても、結局は話作った人から「違うよ?」って言われたらお終いなんですけどね。

文学研究は作者が死んでからしなさいって言われたことを今になって思い出しましたわ。



追記

教えていただいたのですが、アンカツはオグリでのダービーは特に興味を持ってなかったそうです。

ダービーよりもJCへの出走を狙っていたそうです。